敗者へのスポットライトは必要か?|高校サッカーや箱根駅伝で考える
先日、全国高校サッカー選手権大会が福岡県代表の東福岡高校の優勝で幕を閉じました。
連日熱戦を繰り広げてくれた高校生たちには大いに感動と勇気をもらい、「自分も頑張ろう!」と思った次第であります。
しかし、毎年思っていることが一つ。
敗者にスポットライトが当たりすぎてはしませんか?ということ。
今日はそのあたりの考えを僕なりに書きたいと思います。
お涙ちょうだいのロッカールーム。
必ずと言っていいほど、ありますよね。
負けた側のチームのロッカールームにカメラを入れて打ちひしがれる選手とそれを励ます監督の絵。
これって必要ですか?
本来は優勝の歓喜で湧く、勝者のロッカールームを映し出すできじゃないですか?
勝ったチーム、優勝したチームに一番スポットライトを当てるべきでなのではないでしょうか?
日本人特有の敗者の美学みたいなものを感じてなりません。
負けてもあんなに頑張ったんだから・・・。
一生懸命やった結果負けてしまった・・・。
当たり前ですが勝ったチームだって同じように努力をしています。
さらには勝利という結果を残しています。
その姿を差し置いて、敗者の涙で感動しているようでは日本人はいつまでたっても本当の意味で強くなれないような気がしました。
日本の勝負に対する価値観
今年の高校サッカー、箱根駅伝を見ておもったことは、
「きっとアメリカ人が番組をつくったら全然ちがうものになるんだろうな」です。
きっとバカみたいに勝利の美酒(高校生は飲めませんが…。)に酔う姿をこれでもか!!
ってくらい垂れ流しするのではないかと。
優勝したチームを称え、敗者の姿は数秒程度しか映さない。
オリンピックやW杯のときも大体そんな感じではないでしょうか。
日本のスポーツ番組、とくに学生スポーツにおいては敗者がフューチャーされます。
高校サッカー然り、箱根駅伝・甲子園も然りです。
敗者を称える日本の文化は素晴らしいとは思いますが、一番称えスポットライトを当てるべきなのは勝者だということを忘れてはいけないと思います。
よろしければこちらもどうぞ